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1996年旭川女子中学生集団暴行事件まとめ

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確認は取れていないが、主犯格の姓は藤原・吉田、それ以外に 矢田、安藤、白鳥、山野、春日、成田という者が犯人とされている。

また、藤原は当時の旭川市の助役の孫といううわさがある。

少年3人が少年院送致、6人が試験観察、1人が保護観察という処分が下されています。

事件の経緯
スカートめくりなどの軽度の性暴力から始まったと言われる。男子生徒10人は、女子生徒が1年生の時から胸や尻を触る等を繰り返した。女子生徒が誰にも訴えなかったため、その後行為はエスカレート。中学2年生の夏に男子生徒の一人の家に連れ込まれた。

1996年6月に、その女子生徒が担任教師に性被害を告げた。だが、担任教師(男性)は男子生徒たちに少し注意しただけだった。この事をきっかけにして、その性暴力はエスカレートした。

12月には男子生徒10人に取り囲まれ、某所男子トイレに連れ込まれ、6名が女性器等を触るなどしさらに1名が女子生徒を強姦した。被害直後、友人と泣いている被害少女を見た教師が通報しこの事件は発覚した。

その後、旭川家庭裁判所において3人が少年院送致、6人が試験観察、1人が保護観察処分を受けた。男子生徒達は他校の生徒との暴力事件や、喫煙や窃盗などの非行を繰り返し起こしていた。また、被害は被害少女だけではなく他の女子生徒にも及んでいた。

担任教師らは女子生徒から被害の相談を少なくとも3回は受けたほか、わいせつ行為を目撃したこともあった。担任は被害少女が「笑みを浮かべながら」相談した等と主張した。また、事件後教頭は事件について公表をしなかった。

1998年4月、女子生徒と両親は「学校側が不適切な対処を行っていた」として、旭川市と教師の給料を負担している北海道を相手に慰謝料などを求め、総額4430万円の損害賠償を求める訴訟を旭川地方裁判所に起こした。

2001年1月30日、旭川地方裁判所は、判決で少女の事件全体の慰謝料を1千万円が相当と認定し、すでに加害少年グループとの間で成立している示談金860万円を差し引いた上で、少女に対して170万円、両親に対しては30万円を支払うよう、旭川市と北海道に命じた(判時1749号121頁)。

現在、この中学校は存在していない。

 

〜当時の風俗情報誌の記事から抜粋〜

加害少年らは家庭科教室からパクってきた漏斗でペットボトルに小便を貯めて、被害少女に飲ませていた。
また、被害少女に小便をさせて貯めたペットボトルを教室に持ち込んで、被害少女の目前でクラスの男子生徒に臭いを嗅がせて笑い転げていたという。

中学3年の1学期には剃刀で陰毛をすべて剃られて下着を着けずに登校するよう命じられた。
毎朝、校舎2階の男子トイレに呼び出され、下着を着けていないか確認をしていた。
リーダー格の少年が「ノーパンチェック」と告げると被害少女自らジャージを下げて下半身を露出させ、下着を着けてないことを証明させられていたという。
そして口淫を強要されるのが日課となっていたそうだ。

また、剃毛した被害少女の陰毛を透明のカードケースに入れて持ち歩き、同級生の男子生徒らに触らせて勃起したら殴るという遊びをしていた。
被害少女から没収した汚れたタンポンでも同様のことをして遊んでいた。
下着の着用を禁止されて以降は、生理の時はタンポンの使用を強要されていたのだ。

校内で被害少女を見かけると、ファンがアイドルをコールするように「シャブシャブ〜♪ヤリマン〜♪シャウエッセ〜ン♪」と呼んで一般生徒の前で被害少女をからかっていた。
また、人気のない場所で加害少年らに「おまえは俺らの何だ?」と聞かれると「口マンコです」と答えるように指示されていた。
「そうか、じゃあ咥えろ」と言われて、複数の加害少年たちに毎日のように口淫を強要されいた。
口腔射精後は精液を吐き出すことは許されず、そのまま直に飲まされて「今日も美味しいミルクをありがとうございました」と言わされていたようである。

リーダー格の少年は、当時のオウム事件報道で有名になった言葉を使って「俺らはマインドコントロールの天才」と自画自賛していたようだ。

事件当時被害少女と同級生だった旭川市在住の男性Aさんに取材をすることが出来た。
男性は、同中学校在籍時に少年らから金銭を取られたり使いっパシリ的な扱いを受けていたという。
男子トイレや特別教室などで、被害少女に猥褻行為をする時の見張り役や両親が不在時に自宅を提供させられていた。
すべての犯行現場に居たわけではないというが、当時見た猥褻行為の惨状や少年らが話していた悪事を出来るだけ詳しく証言してもらった。

被害少女は、色白で小柄な子でした。
目鼻立ちがはっきりしていて清潔感のある可愛い顔でクラスのアイドル的存在でした。
彼女に片想いしていた男子生徒が何人もいたと思います。
明るい性格で友達も多く勉強も出来る子でした。

私は大人しい性格のためか、入学当初から彼らのパシリ役にされて金品も取られていました。
パシリ役は全員同学年の男子で常時5、6人は居たと思います。
クラス替えで解放される子もいましたが、私は気に入られていたのか不幸にも3年間付き纏われました。
カツアゲしていた生徒らに被害少女の胸を揉ませたり陰部を触らせていました。
「カツアゲのことを親にしゃべったらこのことバラすからな」と脅されていたんです。

クラスの連中も彼らの集団が被害少女に猥褻なことを強要していると薄々は知っていました。
おそらく学年中で噂になっていたと思いますよ。
何人もの友達から被害少女がどんなことをされているのかや、被害少女の身体の特徴を教えてくれと聞かれたことがありました。
「自分も見張り役でいいからやってみたい、おまえが羨ましい」という友人もいたくらいです。

ですので教師も知らないはずはないと思いますし、現にリーダー格や中心メンバーと被害少女はクラス替えで一度も同じクラスになっていませんので、学校側もトラブルを起こされたくなくて配慮していたのかなと今になって思う部分もあります。

色々ないじめの中で被害少女が一番恐れていたのが、校舎2階のスペースに設置されていた六角椅子です。
六角椅子は蓋のような形状をしていて中が空洞になっている重くて頑丈な椅子です。
被害少女に正座をさせて頭を床に着け六角椅子を被せると背中が押し潰されて苦しい姿勢のまままったく身動きが取れなくなります。
そこへ加害少年たちが座ると、もう自分の力では椅子を持ち上げることも出来ません。

六角椅子の中は、真っ暗で息苦しく暑苦しいらしくて、1分も経たないうちに被害少女の許しを請う泣き声がしました。
終いには発狂したように泣き叫ぶ被害少女を、加害少年たちは六角椅子に座って笑い転げていました。

このいじめは、被害少女が衰弱して泣き止むまで続けられることもありました。
「六角椅子に入れるぞ」と脅すだけで平常心をなくして泣き出すほど怖がっていました。
ひとつ間違えれば命にかかわる危険な行為も、彼らには暇つぶしのお遊びだったんです。

最上級生になって校内で更に凶暴化した加害少年たちは、パシリ役の少年宅にて後輩の不良たちを集めて被害少女を辱めた。
総勢20人程の目前で被害少女にストリップを強要したのだ。

初めて直に女性の陰部を見た下級生に対しては「好きなだけ弄って構造を勉強していいぞ。こいつすぐマ■コ濡らすから」と言ってニヤニヤしていたそうである。

その後、被害少女に臀部を突き出す姿勢を取らせて、後輩一人一人に肛門の皴を数えさせたという。
「俺たちはこんな可愛い子にこんなことも出来るんだぞ」と後輩の不良たちに権威を示したのだ。

取材に協力してくれた男性Aさんは、この時は被害少女が可哀相で今でも思い出すと心が痛むと語った。

中3の2学期には当時流行っていた、たれぱんだの絵を被害少女の臀部にマジックで描いて尻を振らせて踊らせていた。
「落としたら焼きを入れるぞ」と脅し、火のついたタバコを被害少女の肛門に挿していたという。
肛門に力を入れてタバコを動かすように命じると、たれぱんだがタバコを咥えているように見えて加害少年らは腹を抱えて笑い転げていたという。

このいじめは被害少女が、たれぱんだのシールを文房具に貼っていたのを見たリーダー格の少年が「そんなに好きならお前の身体に描いてやるよ」と思い付きではじめたものが仲間うけが良かったためにしばらくは頻繁に行われていました。

被害少女の尊厳を傷付けるような本当に酷いいじめでした。
これ以来、被害少女は文房具に貼ってあったたれぱんだのシールを剥がしてしまったと男性Aさんは語る。