「内田梨瑚被告とともに被害者の女子高生を監禁し、裸にするなどした挙げ句、橋から転落させて殺害したとして、旭川地検は8月2日、市内の無職、小西優花被告(19)を監禁と殺人、不同意わいせつ致死の罪で起訴した。
小西被告は、逮捕時には19歳で『特定少年』のため報道機関は実名報道をしていませんでした。しかしその後、家裁から検察庁に送り返す『逆送』が決定しました。地検が起訴した際に『少年法の趣旨や事案の重大性から氏名を公表するのが相当と判断した』と氏名を公表したことから、改正少年法に則り各メディアが実名、写真をつかった報道に切り替えました」
小西被告について、内田被告は“舎弟”と呼び、たびたび一緒にSNSに登場していた、未成年の薬物や性犯罪の温床になっていたとも疑われる内田被告は、その向こう見ずな性格から、周囲の同世代からは煙たがれるなどしていた。なぜ小西被告は、内田被告と一緒に悲惨な事件を起こしたのか。
「小西被告は家裁の少年審判で『積極的に被害者に暴行を加えている』と指摘され『逆送』された経緯があります。審判では内田被告に従っていた面も指摘されていますが、単なる“舎弟”ではなく、本人の犯行の役割は非常に大きいようです」
小西被告の出身校は、未確認であるが、某SNSや掲示板によると、旭川市立愛宕中学校、旭川私立龍谷高校(2年中退)のようである。
小西被告のエピソードには、彼女の幼少期からの性格や行動が垣間見えます。同級生の証言によれば、小西は小学校時代からその美貌で周囲から一目置かれる存在でした。複数の女子グループが存在する中で、彼女はそのリーダーの一人としての役割を果たしていましたが、そのリーダーシップは必ずしもポジティブなものではなかったようです。
「小学校の時の小西は、5、6個あった女子グループのリーダーの一人でした。顔が可愛いということは、自他ともに認められていて、それがリーダーだった理由なのかもしれない。どちらかと言うと、当時から人をハブいたり、無視したりするグループのリーダーだった」と、彼女の同級生は語ります。
その自己中心的な性格は、中学に入ってからさらに強まっていったと言われています。中学時代、小西は3人のグループを作り出しましたが、そのグループ内でも揉め事があり、彼女が学校に来なくなる時期もあったようです。「グループで遊ぶ時も、彼女はジコチューで、反抗すると『なんなの、お前』とか言ってキレる。気に食わないことがあると物に当たっていた。当時から周囲では『顔可愛いけど性格はブス』で通っていた」と、その同級生は続けます。
小西被告は時折、同級生を自宅に招いていたようです。「小西は『お父さんはいない』と言っていて、家にはいつも夜遅くに母親が帰ってきていました。家でうさぎを飼っていて、小西はそのうさぎに『美味しい?』とか言いながら人参を食べさせたりして、とても可愛がっていた」という温かな一面も見られます。しかし、その裏には家族との複雑な関係も垣間見えます。
「お母さんとは些細なことから急に怒鳴り合いをして喧嘩を始めていた。お母さんのことを直接悪く言うことはなかったけど、お母さんは彼氏をコロコロ変えていて、3人の違う男が、小西の母親の彼氏として家にいるところを目にしたことがあります。小西はそのうちの一人のことを『全てが気持ち悪い』と言って、基本的に母親の彼氏とは仲が悪かった」と、その同級生は証言します。
これらのエピソードから、小西被告の性格形成には複数の要因が関わっていたことが伺えます。美貌とリーダーシップの裏に隠された自己中心的な性格、そして家庭環境との複雑な関係が、彼女の行動に影響を与えていたのかもしれません。
シングルマザーの家庭環境で育った小西被告は、次第に道を踏み外していったといいます。彼女の高校時代について、同級生たちが語るエピソードから、その変貌ぶりが明らかになります。
「高校に入ってからも、小西はすぐにグループを作っていました。でも、そのグループ内で揉め事が起こると、彼女はすぐに激しい行動に出ました。ある女子生徒と喧嘩したときには、対立するグループの女子たちの教科書やノートを近くの川に投げ捨てたりしていました。また、別の生徒は小西にロッカーを蹴られまくって、変形したロッカーが開かなくなってしまったこともありました。そんな状況でも、小西に問い詰めても彼女は『私じゃない』ととぼけるだけでした。周りの生徒たちは、次第に小西と距離を取るようになったんです。仲裁に入った先生にもタメ口で話す小西の姿が印象的でした」と、彼女の同級生は語ります。
高校2年生の時、彼女は突然学校を辞めました。その背景には、刺青の入った年上の男性との交際があったといいます。「彼女が学校を辞めた後、友達からタバコを吸ったり、お酒を飲んだりしているという話を聞きました。中学時代とはまったく違う、小西の変貌ぶりが目立つようになったんです」。
その後、彼女が内田被告と共に信じがたい殺人事件を起こしたとき、同級生たちは驚きを隠せませんでした。「事件を知ったときは衝撃を受けましたが、小西は昔から自己中心的で性格も荒かったので、いつかこういうことをするのではないかと感じていました。中学や高校時代から、彼女は“敵”とみなした相手に対しては、見境なく攻撃するタイプでした。年上の人に対しても怯むことなく、自分の思うままに振る舞っていた。小西は自分がしたことを理解し、罪を償うべきだと思います」と、彼女の同級生は話します。
高校を辞めてからは、彼女はゲーセンで働き、さらに道を踏み外していったようです。偶然、小西と「ドン・キホーテ」で再会したという同級生は、その時の彼女の姿を鮮明に覚えています。「黒のパーカーにフードをかぶり、グレーのスウェットを履いていました。髪は茶髪に染められていて、中学時代とはまるで別人のようでした。ギャルっぽいメイクもしていて、昔とは全然違う雰囲気でした」と、その同級生は語ります。
小西被告の人生は、家庭環境や交友関係が影響を与えたことは間違いありません。しかし、それが彼女の行動を正当化するわけではなく、彼女自身がその責任を負い、罪を償う必要があります。