🕰️プロローグ:再び、命が奪われた
2002年1月、横浜市。 三菱ふそう製の大型トレーラーが走行中にタイヤを脱落。 歩道を歩いていた母子3人を直撃。 母親は死亡、子ども2人が重傷を負った。
「整備不良です」 三菱はそう主張した。 だが、同様の事故はすでに57件も起きていた。
🧑💼第1章:分社化の裏で続いていた隠蔽
2003年、三菱自動車はトラック・バス部門を分社化し、 「三菱ふそうトラック・バス株式会社(MFTBC)」が誕生。 筆頭株主はダイムラー・クライスラー。 だが、隠蔽体質は変わらなかった。
2004年、再調査の結果―― 74万台もの不具合が報告されず、リコールされていなかったことが判明。
🔧第2章:構造欠陥と“放置”
- ハブ(車輪の軸)に構造的欠陥
- プロペラシャフトの破損による暴走事故
- クラッチの不具合による制御不能
三菱ふそうは、1997年以前の不具合情報を隠蔽し続けていた。 「過去のことだから」 その言葉が、命を奪った。
⚖️第3章:逮捕と企業責任
2004年5月、神奈川県警は三菱ふそうの元会長・元常務ら7人を逮捕。 業務上過失致死傷、道路運送車両法違反などの容疑。 法人としての三菱自動車も起訴された。
罰金は数十万円。 だが、企業の信頼は崩壊した。
📉第4章:資本提携の崩壊
- ダイムラー・クライスラーは財政支援を打ち切り
- CEOロルフ・エクロートは任期途中で辞任
- 三菱グループ(三菱重工・商事・UFJ銀行)が再び救済
「三菱に未来はあるのか」 そんな声が、業界に広がった。
🧠エピローグ:2度目の裏切り
この事件は、企業が“改善”より“隠蔽”を選んだことを示している。 CSR本部を立ち上げても、文化は変わらなかった。 「たこつぼ文化」――上からの指示だけを守る閉鎖的な組織風土。 それが、再び命を奪った。