齋藤内閣を揺るがした“証拠なき”疑獄事件の真相
🧵はじめに:帝人事件とは?
1934年(昭和9年)、帝国人造絹絲株式会社(現・帝人)の株をめぐる贈収賄疑惑が浮上し、政界・財界・司法界を巻き込む大事件へと発展。最終的に齋藤内閣は総辞職に追い込まれましたが、起訴された16人は全員無罪。 この事件は「司法ファッショ」とも呼ばれ、昭和史の中でも特異な疑獄事件として知られています。
📈事件の発端:帝人株と番町会
- 帝人は鈴木商店系列だったが、商店倒産後、株式22万株が台湾銀行の担保に。
- 業績好調で株価が上昇 → 元鈴木商店の金子直吉が買戻しを画策。
- 鳩山一郎(文部大臣)や財界人グループ「番町会」に働きかけ、11万株を買戻し。
- 帝人が増資を決定 → 株価がさらに高騰。
📰報道と政界の動揺
1934年1月17日、『時事新報』が「番町会問題をあばく」を掲載。帝人株をめぐる贈収賄疑惑が表面化し、鳩山一郎は「明鏡止水の心境」と語って辞任。 同年3月には社長・武藤山治が射殺される事件も発生(関連は不明)。
🐟お鯉事件:謎の告発劇
- 立憲政友会の岡本一巳が司法大臣らを告発。
- 待合女将「お鯉」が証人として登場。
- しかし人違いによる誣告と判明 → 岡本と安藤照女は有罪。
⚖️起訴と内閣崩壊
帝人社長・台湾銀行頭取・大蔵省幹部など16人が起訴され、齋藤内閣は7月に総辞職。 しかし、株売買の商行為以外に犯罪の痕跡は見つからず、帝人株1300株は事件前から金庫に眠っていた。
🏛️裁判と無罪判決
- 1935年に裁判開始 → 全員が罪状を否認。
- 1937年、第一審で全員無罪が確定。
- 判決起案は石田和外(後の最高裁長官)。
- 三土忠造(鉄道大臣)は「司法ファッショ」と検察を批判。
🧠背景にあったもの
- 政友会の内紛:鳩山一郎 vs 久原房之助
- 平沼騏一郎の政治的野心と司法官僚の動き
- ナチス法制の翻訳公刊など、司法省の思想的傾斜
- 軍部・右翼・検察の思惑が複雑に絡み合う
🗣️河井信太郎の言葉に見る本質
「影も形もないものを一生懸命にすくい上げようとしているのが検察の基礎であって、検察には争うことができなかった。」
この言葉が象徴するように、帝人事件は“証拠なき疑獄”として、昭和の政治と司法の限界を浮き彫りにしました。
✍️まとめ:帝人事件から何を学ぶか
帝人事件は、証拠不十分なまま政権を揺るがすほどの影響力を持った“空振りの疑獄”でした。 若い世代にとっても、「権力と司法の関係」「報道と政治の連動」「証拠と正義のバランス」を考えるきっかけになるはずです。