🏭四日市コンビナート──成長の象徴と代償
1955年以降、三重県四日市市は石油化学コンビナートの誘致を進め、石原産業を含む複数の企業が進出。 市は税収と雇用を得る一方で、住民は“白い煙”にさらされる日々を送ることになります。
その煙の正体は、硫黄酸化物(SOx)。 石原産業は酸化チタンの製造過程で大量の廃硫酸を排出し、日量20万トンもの強酸性排水を四日市港に垂れ流していたとされます。
😷四日市ぜんそく──肺を蝕む“見えない公害”
- 呼吸困難、慢性気管支炎、肺気腫
- 子どもの死亡、高齢者の自殺
- 被害は風下の塩浜・磯津地区に集中
石原産業を含む6社が加害企業とされ、1972年の四日市公害訴訟では企業連合に対する住民勝訴が確定しました。
⚖️石原産業事件──企業倫理の崩壊
1968〜69年、石原産業は強酸性廃液を港に排出。 この行為は「石原産業事件」と呼ばれ、港則法違反などで工場長2名が有罪判決を受けました。
さらに2005年には、フェロシルト不法投棄事件でも社会的批判を浴び、2012年には旧経営陣に485億円の支払い命令が下されています。
🧠問いかけ──“企業の責任”はどこまで問えるのか?
石原産業は現在も存続し、酸化チタンでは国内シェア1位を誇る大手化学メーカーです。 でもその歴史には、環境汚染・隠蔽・虚偽報告といった不祥事が繰り返されています。
私たちは、こう問い直す必要があります:
- 成長の裏にある“犠牲”を、誰が記録し続けるのか?
- 企業の“過去”は、現在のブランドにどう影響すべきか?
- 環境配慮の言葉に、どれだけの実態が伴っているのか?
📝まとめ──“煙の向こう”を見つめる力を
四日市ぜんそくは、企業の排出行為が人の命を奪った事件です。 石原産業はその加害企業のひとつであり、今もその名を残しています。