🧠「猫が踊り、人が倒れ、海が黙っていた。だが、誰かが真実を語らなければならなかった。」
1956年、水俣病は公式に「発見」された。だが、それは始まりにすぎなかった。原因は何か。誰が責任を負うのか。科学者たちの探究と、企業・行政の沈黙が交錯する中で、真実はゆっくりと、しかし確実に姿を現していく。
🔬第1節:工場の排水と海の異変
1932年からチッソ水俣工場はアセトアルデヒドの製造を開始。 1950年代、助触媒の変更と設備の老朽化により、廃液中のメチル水銀量が急増。 魚が浮かび、猫が狂い、漁民が倒れた。
「工場は利益を生み、海は毒を抱えた」
🐈第2節:猫踊り病と最初の報道
1954年、『熊本日日新聞』が報じた「猫てんかんで全滅」。 漁村で猫がキリキリ舞い、ネズミが増え、住民が悲鳴を上げた。 これが水俣病の初報とされる。
「奇病は、まず猫に現れた。だが、人間はそれを見過ごした」
🧑⚕️第3節:細川一の報告と熊本大学の調査
1956年5月1日、細川一医師が水俣保健所に「原因不明の中枢神経疾患」を報告。 熊本大学が調査を開始し、1959年には「有機水銀説」を発表。 しかし、チッソは「無機水銀しか使っていない」と反論。
「科学は語った。企業は否定した。行政は沈黙した」
🧪第4節:猫400号実験と“人体実験”の海
細川医師は院内でネコに工場排水を与える実験を実施。 3か月後、ネコは痙攣を起こし、水俣病と同様の症状を示した。 しかし、工場は結果の公表を禁じた。
「ネコは語った。だが、誰も耳を貸さなかった」
🧠第5節:爆薬説・アミン説──科学の混乱と御用学者
チッソは「旧日本軍の爆弾が原因」とする爆薬説を展開。 清浦雷作や戸木田菊次らは「有機アミン説」「腐敗アミン説」を唱え、世論を混乱させた。 田宮委員会は企業支援のもと、有機水銀説に反論を続けた。
「科学は真実を語るための道具であるべきなのに、時に権力の盾にもなる」
📺第6節:テレビが映した真実──『奇病のかげに』
1959年、NHKがドキュメンタリー『奇病のかげに』を放送。 患者の姿が全国に衝撃を与え、テレビが社会問題を映す力を持つことを示した。
⚖️第7節:裁判と責任──国と県の不作為
2004年、最高裁は「国と熊本県は1959年末までに原因を認識できた」と判断。 それでも、調査は遅れ、補償は限定的で、患者の声は埋もれ続けた。
「真実は語られた。だが、責任は語られなかった」
🧭まとめ:
- 科学は誰のためにあるのか?
- メディアは何を映すべきか?
- 沈黙は、誰を守り、誰を傷つけるのか?
✍️次回予告|第三章:裁かれた沈黙──水俣病と公害裁判の記憶
次章では、裁判の舞台に立った患者たち、企業、そして国の姿を描きます。 「声を上げる」ことの代償と、「裁かれるべきもの」の正体に迫ります。