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【第三章】:裁かれた沈黙──水俣病と公害裁判の記憶

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「裁判は終わった。しかし、救済は終わっていない。」

🧑‍⚖️第1節:企業責任から国家責任へ──裁判の軌跡

🗓️年表で見る主要訴訟と判決

出来事 裁判所・判決内容
1967 新潟水俣病第一次訴訟 昭和電工を提訴
1969 熊本水俣病第一次訴訟 チッソを提訴
1971 新潟地裁判決 昭和電工の過失責任認定
1973 熊本地裁判決 チッソの高度注意義務認定
1987 熊本地裁第3次訴訟 国・県の責任を初めて認定
2004 最高裁判決(平成13(オ)1194) 国・熊本県の不作為を違法と認定

 

⚖️第2節:2004年最高裁判決の意義

判例の要点(平成13(オ)1194)

  • 国・熊本県は水俣病の原因と排出源を認識できたにもかかわらず、規制権限を行使しなかった
  • 国家賠償法1条1項に基づき、違法と認定
  • 遅発性水俣病に関して、除斥期間の起算点を「転居から4年後」と判断

💰第3節:補償制度の変遷とその限界

年代 補償内容 対象者数 問題点
1973年 一時金1,600万〜1,800万円+医療費 約3,000人 認定基準が厳格
1995年 一時金260万円+医療費 約12,700人 政治解決による限定救済
2010年 一時金210万円+療養手当 約2,100人 生活保護打ち切り問題発生

「補償はされた。だが、救済は届かなかった。」

🧬第4節:認定基準と未認定患者の闘い

  • 1971年:疫学条件+症状による認定開始
  • 1977年:昭和52年判断条件(複数症状の組み合わせ)導入
  • 2013年最高裁:「個別事案を総合的に検討すべき」と指摘
  • 2021年:申請者22,229人中、認定は1,790人(認定率8%)

🧓第5節:差別・偏見・伝承──語り継ぐということ

  • 「水俣病」という名称による差別
  • 慰霊碑に名前が刻まれない未認定患者
  • 語り部活動と資料保存(相思社・資料館)

✍️まとめ:

  • 裁判は正義をもたらしたのか?
  • 補償は救済になったのか?
  • 認定されない人々は、いつまで待てばいいのか?

「第三水俣病」と環境汚染──忘れられた水銀の記憶

「水俣病は終わったのか? いや、名前を変えて、場所を変えて、今も問い続けている。」

🧠第1節:第三水俣病とは何か?

  • 1973年、熊本大学医学部の調査報告書が発表
  • 有明海地区で水俣病類似症状の住民が確認される
  • 『朝日新聞』が「有明海に第3水俣病」と報道し、水銀パニックが発生
  • しかし、認定されたのは「水俣湾周辺でも漁をしていた」1名のみ

🧪第2節:関川水系・徳山の事例──水銀の影は広がっていた

  • 新潟県関川水系:1973年に約10名の類似症状が報告されるも認定されず
  • 山口県徳山市:無機水銀による汚染が確認されるが、水俣病とは認定されず
  • 徳山港埋立地には今も無機水銀を含むヘドロが残存

🏭第3節:水俣市の環境汚染──埋められた廃棄物と現在

  • 水俣市の『第4号公害調査報告書』(昭和52年)に廃棄物埋立の記録
  • 八幡プール:工場廃棄物の埋立地に水俣クリーンセンター・エコタウンが立地
  • 擁壁や石垣の隙間から高アルカリ地下水が湧出

🧭第4節:なぜ認定されなかったのか?

  • 1971年の認定基準が適用され、第三水俣病は否定された
  • 認定の壁:疫学的条件・地域・漁業歴などが障壁に
  • 「水俣病ではない」とされた人々の声は、どこへ行ったのか?

 

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